仏国で思うた | archi-graff

仏国で思うた

paris paris2


本当に微量な時間の仏蘭西での生活でしたが、
感じた事のない観念の影が、自分と欧州人の間で、揺らめくのを発見する事ができました。

それとの邂逅は、様々な色がじわじわと水の中で混じりゆくような混乱と、濃霧が晴れ上がって無数の道を発見するような新鮮な喜びとを、同時に自分にもたらしたような気がします。



それとは、帰属意識です。



欧州、中東、北米、南米。
特に、英語やスペイン語を母語としたり、構造がそれらに類する母語を持つ欧州の国々の人々と、我々アジア人との間には、帰属意識の点に於いて決定的な差異があります。

上述のような母語を持つ人々は、我々アジア人に比べ、物理的に広範囲で自由な帰属意識を持っているようでありました。彼らにとっては、自分が帰属する場所は国境をあまり問題とせず、都市や文化や言語に基づいた別の世界地図も同時に存在しているのです。

勿論、ここで話しているのは意識の根源に備わった感覚や、文化圏の常識という半ば先天的ともいえる次元です。
家族や教育や生活(職)という後天的に問題となってくる部分は省いています。
この後天的な部分こそが人生の全てであり、絶対に無視できないものという事実は何処の国でもどの人種でも同じようでありますが、ここで話しているのはそれ以前の気風というか、先天的な感覚の事に絞っています。


今まではフランスに住んでいたけど、大学からはヴェニス、とか、
将来はメキシコに引っ越したいけど、仕事はニューヨークでしたい、
イギリスで勉強して、オーストラリアで働く、
などなど。

人種が豊富に混ざり合った国々では、それに比例して多様なバックグラウンドが生まれ易く、血が混ざり易い。
故に、彼らは多様な言語・文化的なバックグラウンドを持ちます。
そうして、それぞれのバックグラウンドに基づいて形成される不定形な領域に対して帰属意識を持っているようなのです。



そうした人々と一緒にいると、
如何に自分の帰属意識が固定観念的で束縛に満ちたものであったかを思い知らされます。
そもそも、日本にいる間は、帰属意識なんてものを感じる必要がないくらい、世界地図の国境と帰属意識の形成するボーダーが重なっていたからだと思います。


これまで自分のいた場所、棲みついてる都市。

自分がそこにいた理由は曖昧極まりなく、偶然に基づいているのではないだろうか?


と、

初めて、現実味を帯びたかたちで、原初的には自分が世界を彷徨う孤児である事に気が付くのです。


ともあれ、自分にとって
自分の在る場所についての無限の選択可能性を知るというのは、暗くて底の見えない巨大な穴を覗くようでもありますが、
自分で自分の死に場所を探すという感覚にも似た、
ロマンチシズムと豊かな寂しさに溢れる体験だったのです。





要は、軽い精神的カルチャーショックで小便ちびったという話です。